阪神タイガースの福留孝介が39歳にしてサイクルヒットを達成。
スリーベースを打って三塁に滑りこんだ後、さすがに息を切らしていたが、低迷する阪神タイガースの中で孤軍奮闘している姿はオジサンの鏡。
しかしなぜ福留孝介はこの年で復活出来たのだろうか?
エリート街道
順風満帆な野球人生
福留孝介の出身校は、もちろん名門PL学園。
幾多の名選手をプロ野球界に送り込んだ名門も、今や廃部の危機に陥ってしまったが、顔ぶれは凄すぎる。
ザッと上げただけで桑田、清原、吉村、立浪、野村、橋本、片岡、マエケンなどなど。
そんな名門校から日本生命を経て、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。
1年目から徐々に成績を残し、4年目に大ブレイク。
松井秀喜の三冠王を阻止して首位打者を獲得した。
それから日本球界では安定した数字を残し、球界を代表する左打者に成長していった。
んがしかし、メジャーではイマイチ日本時代の輝きを見せることは出来なかった。
打率がイイわけでもなく、ホームランを量産するでもなく、そこそこ安定した成績は残していたが、突き抜けるほどの成績ではなかった。
そして故障と成績不振が重なり、全ての力を出しきること無くメジャーを後にした。
阪神復帰後
阪神復帰後の福留は、正直日本で輝いていた頃の姿とはほど遠いものだった。
シュアなバッティングは影を潜め、長打力も無くなっていた。
ぶっちゃけ福留は終わったな、と誰もが思っていたかもしれない。
それが昨年から完全に息を吹き返してきた。
昨年は打率281、ホームラン20本、打点76と限界説を一気に払拭。
そして今年はさらに勢いを増し打率324、ホームラン5本、打点37。
長打力はさすがに衰えを見せるが、あの全方向に打ち分ける打撃の技術は完全に復活している。
なぜ39歳という年齢になって復活できたのか?
この年齢になりようやく自分がやるべきスタイルが見えてきたのではないだろうか?
日本からメジャーに移籍する時の福留争奪戦は凄まじかった。
日本からは巨人、阪神が銭争を繰り広げたが、メジャーを第一志望としていた福留はメジャーからの高額オファーに乗ることになった。
しかし高額契約に応えられない日々が続き、いつしか自分のスタイルを見失ってしまったのではないか?
そして日本に帰り3年目となる昨年から野球人生晩年の福留スタイルを確立し、その姿が花を開いてきたのかもしれない。
苦しい戦いが続く阪神タイガースだが、メジャー帰りのオジサンが今後もファンの心を癒やしてくれるに違いない。