巨人にFAで移籍した選手達は幸せだったのか?実績をランク付けしてみる その2


巨人FA移籍組は幸せだったのかシリーズその2。

今回は2002年移籍組から2011年移籍組までを取り上げる。

この世代は巨人に移籍してどんな活躍をしたのだろうか?

巨人へのFA移籍組

2002年~ら2011年

選手名 移籍前球団 評価
前田幸長 中日 B
野口茂樹 中日 D
豊田清 西武 B
小笠原道大 日本ハム 特A
門倉健 横浜 D
藤井秀悟 日本ハム C
村田修一 横浜 A

前田幸長

高校時代からアイドル的な容姿が受け人気者だったサウスポー。

ロッテにドラフト1位で入団したが人気ばかりが先行し、成績は伴わない日々。

中日移籍後もそれほど目立った活躍ではなかったが、巨人へFA移籍後セットアッパーとして輝きを放つ。

4年連続40試合以上登板を果たし、貴重な中継ぎとして活躍してくれた。

それほど期待が大きくなかったため、これだけの成績を収めてくれれば大成功だったんじゃないだろうか?

野口茂樹

野口は前田とは違いかつては中日の左のエース。

1999年には19勝を上げるなど、素晴らしい実績を残していた。

巨人戦でノーヒットノーランを達成するなど、巨人ファンにとって天敵のような存在だった。

しかし中日在籍時の晩年は既に輝きを失っていた。

FA移籍でもしかして蘇るのか?と多少なりとも期待していたが、巨人在籍はわずか2年。1勝しかできず球界を去っていった。

ハッキリ言って巨人へのFA移籍組としては最低の成績だったのではないだろうか?

豊田清

西武の絶対的守護神として活躍していた豊田。

だが豊田も西武在籍最終年は故障もあり満足な成績は上げられていない。

でもこれがFAの恐い所。移籍したら以前の輝きを取り戻せるんじゃね?とみんな思ってしまうんだよね。

巨人に移籍した豊田はクローザーとしては、ん~~?という感じだったが、上原、クルーンに繋ぐセットアッパーとしては大車輪の活躍をしてくれた。

A評価でもいいのだが、ちょっと辛口でB評価というところで。

小笠原道大

小笠原道大がFA宣言、えっ?巨人移籍が濃厚?嘘だろ!これが当時の印象だった。

ミスターフルスイング、日本ハムで首位打者2回、ホームランと打点王の二冠を取るほどの男。無骨で不器用そうなイメージで巨人なんか眼中無さそうだろうと思っていた男がなぜ?

トレードマークのヒゲをバッサリと剃り、記者会見を開いた時初めて巨人に小笠原が来るんだと感動したことを覚えている。

巨人移籍後の実績も文句はない。

ラミレスと不動のクリーンアップを形成し、坂本勇人の育成にも助力してくれた。

統一球導入後一気に成績を落としてしまったが、小笠原が巨人に与えてくれたインパクトは想像以上にデカかった。

巨人に移籍したFA組では最も輝いたのは小笠原。これだけは間違いない。

門倉健

中日、近鉄、横浜と渡り歩いた苦労人のアゴ門倉。

近鉄時代はパッとしなかったが、横浜に移籍し得意のフォークボールと長いアゴで一気に頭角を現す。

2年連続二桁勝利を上げ、巨人キラーとも呼ばれた。

巨人キラーは極力排除したい!という意向からなのか巨人はFAで門倉を獲得。

しかし全くと言っていいほど巨人では何もしてくれず、印象に残ったのはアゴだけだった。

藤井秀悟

かつてはヤクルトのエースとして活躍していた藤井だが、思い切ってFA宣言したところどこも獲得する球団なし。

日本ハムはFA宣言した選手とは契約を結ばない意向のためもはや浪人するしか無いのか?

と途方に暮れていた藤井に助け舟を出したのが巨人。

実績を買われてのFA移籍というよりはお情けでの入団となった藤井。

しかし救ってくれた恩義を感じ男気を見せた藤井は、移籍1年目7勝3敗とまずまずの成績を残してくれた。

結局この活躍したのはこの年だけだったが、お情けでの入団にしてはまずまずだったんじゃないだろうか?

村田修一

優勝争いが出来る球団へ!と巨人を選んだハマの大砲村田修一。

移籍1年目はとにかく苦しんだ。巨人は、横浜時代のように一発ばかりを狙ってマン振りしてればいい球団ではない。

時には一発を狙いながらも、チャンスではランナーを返す事が最優先。さらに自分を犠牲にする進塁打を求められたりと、村田のスタイルには巨人は合わないことを痛感したのではないだろうか?

しかし2年目は打率316としっかりと中軸の働きをしてくれた。

試合の途中でお家に帰らされたりと原監督にはいろいろパワハラまがいの扱いをされていたが、十分存在感は見せてくれている。

2016年も打率3割、ホームラン25本と完全復活。今や男村田がいない巨人は考えられないだろう。