中日落合博満GM退団!ミスター三冠王はなぜ脅迫されるほど悪役になった


中日ドラゴンズの落合博満GMが契約満了により退団することになった。

中日として初めて採用したGM制度だが、今後は後任を置かない方針らしいので、事実上中日のFM制度は落合に始まり落合で終わってしまったようだ。

落合GMを辞めさせろ!という声が加熱し過ぎて、球団に脅迫まがいの文書が届くほどになってしまったそうだが、なぜミスター三冠王はそこまで嫌われてしまったんだろう。

中日と落合

落合フィーバー

落合が中日に移籍したのは1986年。当時はスポーツ新聞から夕刊紙に週刊誌、全ての媒体に「落合」という文字が踊るほどの落合フィーバーだった。

王貞治も達成できなかった三冠王3回。しかも三冠王を獲ると宣言して本当に獲ってしまう有言実行ぶりが受け、落合は日本球界の大スターになっていた。

そんな落合が所属するには、当時のロッテオリオンズはあまりに貧相だった。

あの頃は今のようにパ・リーグの人気はなく、特にお荷物とまで呼ばれたロッテ、南海あたりは常に赤字経営。

ロッテの本拠地川崎球場は毎試合閑古鳥が鳴き、落合のホームランボールもいつもガラガラのスタンドに飛び込んでいく。

そんな状態を見かねたロッテは、巨人にトレードを持ちかけるが交渉は難航。その間隙を縫って落合獲得に成功したのが中日ドラゴンズ。

当時のリリーフエース牛島とプラス3人の計4人と落合一人の大型トレード。今では考えられないような大胆なトレードが成立し、中日落合が誕生した。

落合がやってきた中日は闘将星野監督の元チーム力を高め、常勝軍団へと成長していった。

その後落合は巨人へFA移籍し最終的には北海道日本ハムファイターズで現役を終えることになった。

でもやっぱり落合と言えば中日。落合は監督として中日に復帰することになる。

選手として一流だった落合は、監督としても辣腕を振るい、在任中リーグ優勝4回、日本一1回と名将ぶりを発揮した。

そんな中日ドラゴンズにとって欠かせない存在だったはずの落合が、GMになり結果が出なくなった途端、大バッシングを受けるようになってしまった。

GM制度

メジャーでは当たり前のGM制度だが、日本では北海道日本ハムや横浜DeNAなど複数の球団が採用しているが、全球団にGMを配置するほど定着はしていない。

そりゃそうだよね。

GMってチームの戦力を整えるだけでなく、どうすれば少ない資金でチーム力を高めることが出来るか?どうすれば集客できるか?というような野球の知識だけでなく経営的目線も必要。

だからGMには全権を与えてくれなきゃ困るんだけど、日本の場合、球団代表の下にGMが位置するから、中途半端な権限しか持っていない。

それでメジャーのGMのように結果が出ないからGMの責任だ!と全ての責任を押し付けられるのはコクな話。

落合が中日のGMに就任した直後、大幅な年俸カット、功労者の放出など様々な方針を打ち出し強化に乗り出したが結果はついてこなかった。

GMとしては確かに結果は出なかったが、そこまでヒールになるほど酷いものだったのだろうか?

選手時代、監督時代の落合の栄光は賞賛に値する。

そんな栄光をGM就任3年でデリートしてしまうのは、あまりにも悲しいじゃないか。

落合GMがいなくなったから、ある日いきなり中日が強くなることはないだろう。

中日の弱体化を落合だけに押し付けるのではなく、根本原因を探りチーム再建に乗り出すべきなんじゃないかね。