ロッテのエース涌井秀章がかねてから交際していた押切もえと結婚。
11月1日と1並びの日に婚姻届を提出したそうだが、1位になりたい気持ちがこもっているのかもしれない。
涌井も今やロッテの大黒柱となったが、結婚によりさらに安定したピッチングを見せてくれるだろう。
涌井秀章
どん底からの復活
涌井ほど見事な復活を成し遂げた投手はいないだろう。
横浜高校出身の涌井は同じ高校の先輩松坂大輔2世と呼ばれ将来が期待されていた。
涌井はその期待に応え、プロ入り2年目からローテーションに定着し12勝をマーク。
翌年には17勝を上げて最多勝に輝いた。
2008年には巨人との激闘を制し日本一に。その後も順調に勝ち星を重ね西武の絶対的エースに成長していった。
しかしそんな順調だった涌井に悪夢が訪れる。週刊誌に女性問題をすっぱ抜かれ、事を重く見た西武球団から登録を抹消される事態にまで発展した。
その事件を境に涌井の成績はどんどん下がっていった。
涌井の不調はこの事件がキッカケのように思われがちだが、実は2010年頃から肩の違和感を感じていたそうだ。
肩甲骨の動きが悪くなり、思い通りのピッチングフォームが出来ず結果は悪くなるばかり。
先発で結果の出なくなった涌井の姿を見て、当時の渡辺監督は涌井をクローザーに転向させた。
クローザーとしてそこそこの成績を収めたが、全盛期の涌井を知る人間には物足りない活躍。涌井はもうこの若さで終わってしまったのか?誰しも思ったが、涌井はFAでロッテへの移籍を決意した。
しかしロッテ移籍初年度も結果が出ない。奇しくも西武伊原監督から「涌井はあんなもん」発言が出るほどだった。
だがそこから涌井は奇跡の復活劇を果たす。
ロッテ移籍2年目は15勝を上げなんと最多勝に輝いた。まさにどん底からの復活劇は押切もえの存在があったからなのだろう。
押切もえの眼力
押切もえといえば蛯原友里とならぶトップモデルとして君臨してきた存在。
そんな押切もえの元カレといえば元巨人の野間口貴彦。
野間口は社会人シダックスから自由獲得枠で巨人に入団。
当然巨人のエースにならなければイケない存在だったが、話題になったのは押切もえとの交際ばかり。
当時の原監督が野間口のことを「もえちゃん」と呼ぶほど野間口といえば押切もえ。
そんな野間口と押切もえの交際は長くは続かず破局。
話題の無くなった野間口は実力で見返すことができず、戦力外となり今はスカウトとして活躍している。
プロ野球選手好きの押切もえの眼力が優れていたのか、もえちゃんをゲットできなかったため成績が落ちてしまったのか?
プロ野球選手にとって女性の存在って意外と大きいのだろう。
そんな野間口氏も二人の結婚を祝福しているはずだ。