亀田3兄弟は本当に強かったの?亀田家は今何をしてるのか?


ボクシング界どころか一時社会現象にまでなった亀田3兄弟。

そんな亀田3兄弟の三男亀田和毅が国内復帰に向けて協栄ジムに移籍することが決まったそうだ。

あれだけモメた亀田家を受け入れるとは。協栄ジムの大人な対応に亀田和毅は感謝すべきだろう。

亀田3兄弟

亀田家

関西のボクシング一家として注目を集めていた亀田家の長男、亀田興毅がプロデビューしたのは2003年。もう10年以上も前の話になる。

恐らく亀田家とか亀田興毅という名前は知らなくても、あぁあの恐いお父さんが男で一つでボクシングを押しているあの家族の子供かぁ。

と多くの人がテレビを通して知っていたのでは無いでしょうか?

今考えると亀田家の父、亀田史郎氏はかなりのやり手だったのだろう。

子供が小さいうちからボクシング一家としてテレビ局に売り込み、テレビ放送を通じて無名のボクサーを一挙に全国区へ広めてしまった。

そんな亀田興毅は、デビューから連戦連勝。

しかし、そのキャリアに大きな疑問が残る。

日本人とは一切対戦せず、無名のアジアの外国人ばかり。

恐らくキャリアを傷付けないように慎重に確実に勝てる相手だけを選んで実績を積み重ねて行ったのだろう。

そして、迎えた世界タイトルマッチ。ファン・ランダエタとの微妙な判定決着での王座奪取劇は大きな物議を醸した。

筆者の意見からすれば、僅差の判定だろうがなんだろうが勝ったほうが一番強い。特に日本で開催されている以上、海外からやってきているボクサーは圧倒的な力を見せなければならない。

と思っているのだが、世間の評価は真っ二つ。亀田って本当に強いの?みんなが疑問を持つようになった。

そしてあの歴史的事件が起こる。

当時のWBCフライ級チャンピオンだった内藤大助に次男の難波の弁慶と呼ばれた亀田大毅が挑戦。

そこで亀田家の実力が明らかになる。試合は終始チャンピオン内藤ペースで進み、最終ラウンドやけになったのか亀田大毅が反則のオンパレード。

さらに反則を指示したセコンドの亀田史郎、亀田興毅が処分を受ける事態に。

もはやボクシングの世界を超えた、エンターテイメントの世界に引きずり込まれていた。

そんな亀田家はその後さらにすったもんだがあり、日本ボクシング界から追放された形で日本では試合が出来なくなってしまった。

亀田家の今

最近もたまにテレビで亀田家を見かけることもあるが、すっかり棘がなくなり、何の特徴もない若者になりつつある。

長男の亀田興毅は、いろいろ批判はあるが三階級制覇を達成後、引退し亀田プロモーションの代表を勤めている。

次男の亀田大毅は、最近結婚し子供が出来たそうだが、どうやって収入を得ているのか?イマイチ素性はわからない。

三男の亀田和毅は、唯一現役だがタイトルマッチに2連敗中と瀬戸際に立たされている。

父の亀田史郎は、ある程度子どもたちで稼いだのでもう十分なのかもしれない。

一体亀田家とは?

一体亀田家とは何だったのか?

対戦相手を挑発し、罵倒するスタイルは恐らく、今年6月に他界された元ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ氏のスタイルを参考にしたのではないだろうか?

モハメド・アリは、対戦相手を罵り、罵倒し、時にはKOラウンドまで予告した。

絶対に自分が負けられないところまで追い詰めて、結果を出す。常人には考えられない領域にいた名ボクサーだ。

ただ亀田3兄弟には残念ながらアリほどの実力はなかった。

普通にやっていれば世界チャンピオンになれた器では合ったが、相手を圧倒するほどまで突き抜けてはいない。

そのため弱い犬ほどよく吠える的なキャラで扱われてしまったのかもしれない。

だがしかし、亀田史郎氏の戦略は間違ってなかったのかもしれない。

当時のボクシング協会は、辰吉のようなスターがいなくなり、世界タイトルマッチがテレビでも放映されないような暗黒の時代。

世間の注目は、みんなプライドやK1に持って行かれていった。

そこに現れた亀田3兄弟。もちろんやり方が正しかったのかどうかはわからないが、世間の注目を一気にボクシングに引き込んだ功績は評価すべきだろう。

あの頃の亀田フィーバーも亀田バッシングも実はすべて亀田史郎が仕組んだ壮大なストーリーの一部だったのかもしれない。