ヤクルトの由規が中日戦でなんと5年ぶりの勝利を上げた。
先の見えない苦しいリハビリに耐えての勝利は格別なのか?それとも安心したのか。
それにしても5年間も我慢したヤクルトは賞賛に値する忍耐力だろう。
投手のブランク
長期間の故障
長期間のブランクに耐え復活した投手といえば、何人か名前が上がる。
村田兆治や桑田真澄が典型例。
彼らは今は当たり前になりつつあるトミー・ジョン手術から長いリハビリを経て、見事に復活を遂げた。
村田も桑田も復帰前ほどのパフォーマンスは出せなかったかもしれないが、復帰後も十分にエース級の働きは見せた。
一方復帰できなかった投手といえば、やはり斉藤和巳の名は外せない。
20勝投手にもなり、投手5冠を達成するほどの大エースにまで成長したが、肩の故障を患い、長いリハビリ期間を過ごしたが、結局マウンドに戻ることは出来なかった。
最近では肘よりも肩の故障のほうが復帰は難しいかもしれない。
ただどちらにしても、1軍で3年登板できなかった投手は、もう復帰することは厳しいと言われている。
5年間のブランク
しかし由規はその定説を見事に覆した。
彼が最後に1軍で登板したのは、2011年。そう奇しくも東北宮城県出身の彼が東日本大震災に見舞われた年である。
シーズン中盤までは被災した地の思いを受け登板を続けたが、夏以降に1軍から去り、それから5年間戻ってくることは無かった。
今では大谷翔平が160キロ台の速球を連発しているが、当時の160キロ、日本最速候補といえば由規が一番手の存在だったのに。
先の見えないリハビリは、想像を絶するほど苦しかっただろう。
しかし一度はヤクルトは育成契約に落としてでも、彼の復活を待ち続けた。
荒木大輔の時も、館山昌平の時も、ヤクルトは復帰するまで待ち続けた。
一方我らがジャイアンツは、越智も辻内も條辺も完全復帰を待つことはしなかった。
これは球団としての取り組みの差なんだろう。
とはいえいくらヤクルトだって、復帰しただけで戦力として機能しない選手をいつまでも残しておくことはしない。
ついに1軍復帰、復帰後初勝利を挙げた由規だが、本当のサバイバルレースはここから始まるのかもしれない。